工業用水は、あらゆる産業の生命線である。

工業用水は、製造業をはじめとした工場などで冷却、洗浄、ボイラー等、さまざまな用途に使用されています。
モノづくりには欠かせない水であり、あらゆる産業の生命線です。
大阪市の工業用水道もまた、産業の発展を支え続けてきました。
その歴史は古く、昭和初期に遡ります。

大阪市の工業用水の歴史

  1. 1926~

    西大阪地域を中心とした地盤沈下による災害の被害

    昭和のはじめごろから、西大阪地域を中心に地盤沈下が激しくなり、台風時には高潮などで大きな被害を受けました。
    当時はあらゆる工業で冷却や洗浄などに使用する水を地下から
    汲み上げていました。
    その地下水が原因で地盤が緩み、地盤沈下が激しくなったのです。

  2. 1954

    此花区、福島区を対象に工業用水道の給水を開始

    地盤沈下が深刻化する中、その原因となっていた地下水の
    汲み上げを抑えるため、昭和29年に地下水の代替水を供給する目的で、此花区、福島区を対象に工業用水道の給水を開始しました。

  3. 1956

    工業用水法の制定により、工業用地下水の汲み上げを規制

    地下水汲み上げによるこれ以上の地盤沈下を防ぐため、昭和31年の工業用水法が制定されました。
    それからは規制区域がどんどん拡大され、4回にわたる施設の拡張事業を実施。
    その結果、昭和43年には、1日の標準給水能力が575,000立方メートルにまで達しました。
    14年間をかけて施設を拡張し、ようやく工業用水インフラが整ったのです。

  4. 1968

    基準に適合しない地下水の汲み上げを禁止

    工業用水道が完成したことで、昭和43年12月には基準に適合
    しない地下水の汲み上げが禁止となりました。
    その結果、大阪市の地盤沈下はほぼ収束。工業用水道事業は現在まで大阪市の産業発展を支える重要な役割を担うようになったのです。

Now

大阪市の工業用水のイマ

産業の発展に大きな希望をもたらした工業用水事業ですが、異常渇水や石油ショックなど景気の後退等により給水量が減少。
これにより大阪市の浄水場は段階的に縮小・廃止を繰り返し、平成19年度以降の1日標準給水能力は全盛期の約45%にあたる260,000立方メートルとなりました。

さらに平成30年4月には、経営効率化を図るため、城東浄水場の浄水施設を廃止。
その結果、現在の1日標準給水能力は151,000立方メートルにまで減少しています。

Future

私たちが描くミライ

産業の発展と環境保護にとって大きな希望となる工業用水。
人口減少による水需要の低減や管路老朽化による施設の維持管理コスト増大といった課題に対し、
私たちは収益・費用・運営体制の3つの分野における持続可能な仕組みを構築することで
最適な工業用水道事業運営の仕組み「大阪工水モデル」を確立します。

100年後も変わらず利用できる工業用水道。大阪は水から変わります。